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おしゃべりのすすめ 雑談文化の恩恵

井上 俊先生

文化社会学者 元・大阪大学人間科学部・京都大学文学部・甲南女子大学人間科学部

 

「オベンキョーを期待しすぎる」のはよくない

まずお勧めしたいのは、森 毅さんの『まちがったっていいじゃないか』という本です(ちくま文庫、1988年)。森さんは数学者で、長らく京大教養部で数学を教えておられました(もり・つよし、1928~2010)。

 

この本には数学の話も少しは出てきますが、中心は一種の人生論で、「ドジ人間のために」「半分おとな」「なぜ勉強するの」といった章が続いています。森さんの主張は、ひとことで言えば、世の中で広く「常識」とされていること、あるいは「正しい」とされていることにとらわれてはいけない、そんなことは気にせずに自由に生きればいいのだ、ということです。「まちがったっていいじゃないか」というタイトルには、まちがったらやり直せばいいというだけでなく、それは本当にまちがいなのか、それを「まちがい」とする常識的な基準を再検討してみようという意味もふくまれています。

 

ですから本当はかなり過激な主張で、実際に過激なことばも使われているのですが、森さん独特のユーモアのセンス、ユーモラスな表現がその過激さを和らげています。そのため本書には、過激さとともに「やわらかさ」があり、肩ひじ張らずに楽しく読める本になっています。

 

また森さん自身の経験にふれた「ぼくの中学生時代から」という短文が6編、挿入されているのですが、森さんは5年制の旧制中学出身(大阪府立北野中学校)ですから、主な読者対象として想定されているのは現在の中学・高校生であり、彼ら彼女らに語りかけるような形で本書は書かれています。

 

この本の終わりのほうに「ことばへの思い」という章があり、森さんはそこで「おしゃべりのおもしろさ」について語っています。「ぼくは、評論集よりは、対談集を読むのが好きだ。自分の本でも、評論集よりは、対談集のほうが好きだ」。講演でも、きちんとした講義調のものより、とりとめのないおしゃべり型のものがよい。読書や講演に「オベンキョーを期待しすぎる」のはよくない。「たしかに、おしゃべりだと、十分な形をとらないままで、発想がこぼれてしまったりする。しかし、そうした、こぼれかけたのを拾いあげるのが、おしゃべりの楽しみである」。

 

『まちがったっていいじゃないか』

森毅(ちくま文庫)

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森流「学問のススメ」

森さんのおしゃべり好き、雑談好きがよくあらわれています。たとえば『森毅の学問のススメ』(浅田彰・編、ちくま文庫、1992年)という本もそうです。この本の第2部は「京都サロン文化のなかで」と題されていて、いろいろな学問領域の人たちとの対話が収められています。生物学(岡田節人)、社会学(井上俊)、心理学(岸田秀)、歴史学(清水純一)、文学(小松左京)、語学(山田稔)といった顔ぶれですが、いずれも「オベンキョー」風を避けて、それぞれの学問の面白さ、楽しさを中心に、「とりとめのないおしゃべり」「雑談」が展開されています。

 

今この「みらいぶっく」を読んでおられる皆さんの多くは大学進学を考えておられるのだと思いますが、どの大学のどの学部を選ぶかということは、ある意味で学問の選択でもありますから、この森流「学問のススメ」は役に立つはずです。ここでも、学問の進歩や有益性をめぐる「常識」や「正論」にとらわれることなく、自分自身の関心や好みを中心に選択すればよいのだということが暗黙のメッセージになっています。学問や研究が世のため人のためになるのはもちろん結構なのですが、それはいわば結果論であって、それぞれの研究者本人はむしろ楽しいから、面白いからやっている、それが本筋なのです。この意味で本書は「私学問(わたくしがくもん)のススメ」でもあるのです。

 

『森毅の学問のススメ』

浅田彰・編(ちくま文庫)

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京都の「雑談文化」の伝統

森さんのおしゃべり好き、雑談好きはしかし、必ずしも森さん個人の好みとは言えません。「京都サロン文化」という表現にも示されているように、関西、とりわけ旧い京都大学人文科学研究所関係の人びとの間には「雑談文化」の伝統とでも言うべきものがあり、私自身その影響や恩恵を受け、それによって育てられてきた面があります。多田道太郎さんや鶴見俊輔さん、あるいは(私の社会学の先生である)作田啓一さんなどなど、多くの人びととの雑談から実にたくさんのことを私は学んできました。年長の方々だけでなく、若い人たち、大学院生や学生さんたちとの雑談からも、自分との考え方の違いや時代の流れについて多くを教えられます。研究上のヒントや知識にしても、雑談のなかで誰かに教えられ、興味を感じて少し自分でも調べてみるといった過程を経て役に立ったものが少なくないのです。

 

森さんは多くの人と雑談を楽しんでいますが、そのお相手の一人であった鶴見俊輔さんは、森さんとの対談本『人生に退屈しない知恵』(編集グループSURE、2009年)の「まえがき」で「森さんとは、私の人生でもっとも長い雑談の時間をもった」と述べています。いろいろな機会に「累計すると大変な長時間」に亘って森さんと雑談し、それが「私の教養の欠陥をおぎなうのに……とても有益だった」というのです。

 

この本は、のちに『鶴見俊輔伝』(新潮社、2018年)を書く黒川創さんの司会で、京大と東大の比較論から始まるのですが(森さんは東大卒、鶴見さんはハーヴァード大卒で京大人文研に「最年少の助教授」として勤めたことがある)、やがて縦横無尽の雑談会に発展します。そのなかに次のような挿話があります。

 

『人生に退屈しない知恵』

森毅・鶴見俊輔(SURE)

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「メダカの学校」の思想

1977年のノーベル化学賞受賞者のイリヤ・プリゴジンについて、彼の数学は「京大でプリゴジンを教えている(著名な数学者の)〇〇だって分かってないだろう」と森さんが言うので、鶴見さんが「誰が分かっているんですか」と尋ねたところ、森さんは「京大で〇〇に教わっている学生だろう」と答えたというのです。鶴見さんは、この森さんの答えを「名言」とし、「学生のなかに、自分より的確に分かっているやつがいる、それでいいという考え」に賛意を表しています。

 

これはおそらく鶴見さんの好きな「メダカの学校」につながる考え方でしょう。つまり「だれが生徒か先生か」分からないのです。鶴見さんの「組織論」の根もとにはこの発想があり、それは鶴見さんが実際にその形成にかかわった組織、つまり思想の科学研究会や現代風俗研究会などにも流れ込んでいると思います。でも、この点について話し出すとまた長くなりますので、きょうのところはこれまでにしておきましょう。

 

なお、以上で取り上げた3冊の本のうち『まちがったっていいじゃないか』は、本屋さんで購入するにせよ、図書室で借用するにせよ、割に簡単に読めると思います。『森毅の学問のススメ』はすでに絶版ですから、古書店か比較的大きな図書館で探してみてください。『人生に退屈しない知恵』は直接販売のみで普通の書店では売っていませんので、発行・発売元のSUREから通販で購入するのが早道でしょう。皆さんがいずれ大学に進まれると、入手困難な本を何とかして読む技術も必要になりますので、今から少し練習しておくのも悪くないと思いますよ。

 

 


井上 俊先生 プロフィール

 

宮城県出身。仙台第二高等学校、京都大学文学部卒、同大学院博士課程まで進み社会学を学びました。その後、阪大・京大・甲南女子大に加え、神戸商科大、米国イリノイ大、関西大などで教えられました。

 

『死にがいの喪失』『遊びの社会学』『スポーツと芸術の社会学』『文化社会学界隈』など、常識的な社会学の枠組みにとらわれない視点から多くの本を著しました。それにより、教養と人間味あふれる、誰もが親しめる「文化の社会学」という独特な世界を切り拓き、広めました。特に関西の大学を中心に、今なお受け継がれる、関西ならではの研究の伝統を育てました。

 

『文化社会学界隈』

(世界思想社)

小説、ルポ、映画、漫画、武道、スポーツなど。貧困街から探偵小説、『闇の奥』から『宮本武蔵』『YAWARA!』やペットロス。多彩な賑わいの界隈を遊歩して描く文化と人々の姿。

 

まさに雑談文化が展開され、「人と面影」という追悼を通して雑談の思い出が語られる魅力的な章もある。「井上先生からの一言メッセージ」にある、”作田啓一先生との雑談を通して社会学の面白さを知った”思い出も紹介されている。

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井上先生からの一言メッセージ

 

私が社会学の研究者になったのは、まったくの偶然です。学生の時は新聞社にでも就職してジャーナリストになりたいと思っていました。しかし卒業に必要な必修科目の単位を落としてしまい、留年することになりました。この留年中に、当時教養部におられた作田啓一先生との雑談のなかで社会学の面白さに気づかされ、翌年は大学院を受験しました。

 

このころ京都には、旧京大人文科学研究所関係の人びとを中心に「雑談文化」の伝統みたいなものがあり、私も作田さんはじめ多田道太郎さん、鶴見俊輔さんらとの折々の雑談から多くのことを学んできました。大学で教えるようになってからも、若手の研究者や院生・学生諸君との雑談から得たものが少なくありません。

 

喫茶店やバーでのとりとめのない雑談、あるいは「○○研究会」という一見とりとめありげで実はそうでもない雑談の会などこそ、生活や研究のヒントの宝庫なのです。「雑談文化」の恩恵に感謝のほかありません。

 

甲南女子大の学園祭で井上ゼミは「はしまき」の店を出しました(一本200円)。 学生たちにとっては「社会」を学ぶ機会、私にとっては若い学生たちとの「雑談」 の機会です。「雑談文化」のいわば応用編です。
甲南女子大の学園祭で井上ゼミは「はしまき」の店を出しました(一本200円)。 学生たちにとっては「社会」を学ぶ機会、私にとっては若い学生たちとの「雑談」 の機会です。「雑談文化」のいわば応用編です。

 

森毅さんの本を推薦している先生方は、こんな面白い研究をしている!

 

★『まちがったっていいじゃないか』(ちくま文庫) 〜まちがわないように生きるのが幸せなのか、考えるきっかけに。

 子供の学ぶ意欲を育む評価の研究 松井剛太先生(教育学・幼児の評価方法/香川大教育学部)

 

★『森毅ベスト・エッセイ』(ちくま文庫)〜生きる姿勢を学べるエッセイ。

 実験室ではなく自然界で発見!共生微生物の役割 服部佑佳子先生(発生生物学/京都大理学部)

 

 ★井上先生が、「遊び」を真面目に考えるならと薦める一冊

『ホモ・ルーデンス』ヨハン・ホイジンガ(講談社学術文庫・中公文庫)

〜ホモ・ルーデンスとは「遊ぶ人」という意味。オランダの歴史学者ホイジンガは、遊戯が人間の知的活動力の源泉であることを、論じます。

 この本を薦める先生は↓

 日本のアニメは海外の人はどう見て楽しんでいるの? 石田美紀先生(芸術実践論/新潟大学 経済科学部)

 

 

『みらいぶっく』にはこんな本も

 

★鶴見俊輔さんの本

『限界芸術論』(ちくま学芸文庫) 〜鼻歌や学芸会の台本など、芸術だとは普通思われていない日常的な事柄を含めてが〈芸術〉

 

★多田道太郎さん訳の本(加藤秀俊さんと共訳)

『みっともない人体』バーナード・ルドフスキー著(鹿島出版会)〜私たちのすべての感覚の土壌となる「身体」を知ることはとても面白い

 

★井上先生と作田啓一先生の共編の本

『命題コレクション 社会学』(ちくま文庫)〜古今東西の社会学者が「社会」とそこに生きる「人間」を読み解いた、研ぎ澄まされた50にも及ぶ「命題」

 

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